本条蔵 -ホンジョウゾウ-

本やゲームなどの感想です。まだまだ移行作業中。概ね敬称略です…。

中澤系 「uta0001.txt」

※今回は、短歌企画一歌談欒Vol.2へのエントリー記事です。
歌集全体の感想は、また後日、別の記事で。

3番線快速電車が通過します理解できない人は□□□□

元の歌を知らない状態で、むしろ短歌ということを意識せずに「□を埋めなさい」と言われたら、何を入れるだろう。
快速が来る、駅を通過する、そのままだとホームの人は?

「あぶない」←ふつう
「轢かれる/轢かれろ」←ちょっとキツめ
「ゴミ以下」←だいぶキツめ

身も蓋もない上に性格の悪さが露呈する結果になったけど、普通に文章を繋げようとすると、こういう方向性になってしまうと思うのだ。
このアプローチは(私の内面の暴露的な意味で)危険な気がするけど、もう少し考えてみる。

「天使だ」←飛べるから無問題
「助ける」←いい人だ
「おやすみ」←モルダー、あなた疲れてるのよ
「全力」←いるよね、気づかずにホームまでの階段をダッシュしちゃう人

ちょっと苦しいものもあるけど、今思いつくのはこのくらい。
ところで、「正解」であるところの「元の歌」はというと、

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって(中澤系)

……モヤッとしませんか。なんかちょっと変だな?捻れてないかなコレ?って。

ここで少し切り口を変えてみる。
そもそも「理解できない」人って、どういう状態だろう。

1.「アナウンスが(日本語であるがゆえに)まるごと理解できてない」
2.「通過という語を理解できない(減速して停まる/乗車できると思っている)」
3.「上記二点をクリアしつつも、線路際にいると危ない、ということが分からない」
4.「上記三点をクリアしつつも、他の何かを理解できない」

1のタイプに対して「下がって」は無意味だと言っていい。通じないんだもの。例外として、アナウンスが聞こえない人に対して「下がって」というプラカードを見せている、とかなら別だけど。

2はどうだろう。相手が子供だとか。これは大丈夫っぽいかな。諭す感じで。

3なら?例えば、食卓についているときに「醤油」と言われたら、多くの人は「(君の近くにある)醤油(を私に渡して)」として理解するだろうけど、この省かれた部分が理解できない症状の人はいる。そういう人向けの、捕捉説明のようなメッセージ。ただし、この場合「下がって」だけで十分伝わるかどうかは分からない。

4だとどうか。このままでいると危ないけど、危ないことに問題があると思えない人。例えば、だいぶメンタルが辛い人だとか。そいういう人に対する「下がって」は、救いのようでもあり、容赦ない一言のようでもある。言い換えればそれは、「大事な人を思い出して!」であったり、「その電車が遅れると私が困るから、せめて次の電車にして!」であったりするのだろう(どちらがより「容赦ない」かはまた別の問題)。

つまり、「下がって」の解釈を4以外のものだとすると、どれも「親切な」メッセージだということになる(4にだってある程度の「親切さ」はある)のだけど、この歌の初見時、「やさしい歌だ」という印象は持たなかった気がする。
なにかこう、「あなたには理解できないよ」という拒絶のようなもの、或いは挑発のようなものを感じたというか。
(余談ながら、この歌は私が最初に知った中澤系の歌だったし、言い換えればこの歌で中澤系を知ったので、彼の持つ背景や生き様などは鑑賞に干渉しなかったはずだ。)

どうしてだろう。

もうひとつの引っかかりとして、「理解できない人」と「下がって」の接続が「は」であることが挙げられると思う。
もしも「は」が「も」であったなら、たぶん読後感は、既に述べた「下がって」の「親切さ」とあまり矛盾しないものになるのではないだろうか。

3番線快速電車が通過します理解できない人も下がって

うん、普通だ(笑)

そう考えると、元の歌に「拒絶性」「挑発性」を感じた理由が見えてくる。
私はこの歌を「理解できる人」の立場で読んだので、

3番線快速電車が通過します理解できる人は下がらなくていいよ

という風に受け取ったのだと思う。
いやいや、下がりますがな。危ないですがな。

ここまで整理してからやっと、私は

「快速電車が比喩だとしたら、そのアナウンスだけで簡単に尻込みしてしまう私はダメなんじゃないだろうか……」

とか

「理解してます!と自分でいう人ほど理解できてないものだよな……なんだろう、この見落とし感」

とか

「下がって、の後に省略されているのはありきたりの『お待ち下さい』ではないのかもしれない」

とか、いろんなことを思うのであった。

そのうち、一冊の歌集の中の一首として、もっと掘り下げるかもしれない。掘り下げないかもしれない。
歌集「uta0001.txt」はまだ読みかけなので、今回はこのくらいで。


追記(2016.11.26)

初句の「3番線」がなぜ3番線なのか、についてもちょっとだけ考えてみた。
字余りを避けたいなら「2番線」や「5番線」でも良かったのでは?という疑問について。

まず、数字は奇数の方がいいと、個人的には思う。
なぜなら、基本的に「奇数=上り」というイメージがあるからだ。
やはり、「家や故郷に帰る方向」ではなく、「都市部に向かう方向」の通過電車であることが、望ましいように思う。

そして、「1番線」では強すぎる気がする。「1」というのは、それだけでメッセージを持つ数字だから。
ならば「5番線」はどうか。しかし、それだとちょっと大きすぎる気がするのだ。駅も大きそうで色々考えてしまうし、「5」という数字は奇数だけどなんだか区切りが良すぎる。
やはり「3番線」の、やや中途半端で中立な感じ、それがちょうど良いのではないだろうか。